信じ抜く子育て 4歳まで一言も話せなかった私が3言語も話せるようになった理由

徒然

週末は徒然記事を書くと決めているなぎささんです。

突然ですが、これからの教育ってどう考えますか?

”いつも「何事にも興味を持って自分で調べないさい」と言っていた東大の教授が、オンライン授業を強要されると、生徒にあっさりやり方を尋ねました。みんな心の中で「自分で調べろ!」と”

事実関係は別として、この話を聞いて私は人生観が変わりました。

東大といえば、雲の上の存在です。親族縁者、地元から。たとえ一人でも東大生を輩出できたなら、その周辺の生活環境全てが絶賛されるような話です。そんな東大の教授でも「オンラインでやっってみろ」となると、たちまち素人になりかねません。娘を持った今、これからの教育って何なのか。本当に「常識」を疑います。

ところで、話は脱線しますが、私は4歳まで一言も話せなかったようです。

1歳半の娘が片言を話すのを見て驚くとともに、自分の過去にも驚きです。よくぞ人になれたと!そればかりか、今では英語とヒンディー語もそこそこいけます。一体どんな家庭環境で育ったのか。

本当に驚きですが、父も母も、私の言語障害を一度も疑わなかったようです。綺麗事ではなく、本当にそうだったのだと思います。この腰の座りようには驚きますし、心底感謝しています。尊敬もしています。

家庭事情を話せば、家の前にはバス停があり、養護学校の送迎バスが来てました。学校のクラスメイトには障害を持った子が60人中3人いました。一つ下には弟がおり、たぶん私より先に言葉を話していました。周囲を見渡すと、障害のある子は一定の確率でおり、同じ年の子は年単位で私より早く話していました。もちろん、周囲は心配したそうです。でも両親は心配されても微動だにせず、信じて何も疑わなかったようです。この状況、私にはハッキリと目に思い浮かびます。そして、私にはできません。同じ父親の立場になっても、器の違いを感じます。

こんな環境下で育ったので、したいことは自由にさせてもらった方だと思います。16歳のときに私は、家出をしてイギリスに3週間行きました。家出なので、連絡先も資金援助もなしです。よくぞ信じてくれたと。この時はさすがに心配していましたが。この自由にさせてくれる環境のおかげで、私は言語障害を乗り越え、逆に今では強みにしているのだと思います。

娘に東大を目指せとはいいません。阪大に行ってくれたら嬉しいとは言うでしょう。でも、したいことをさせたいです。教育とは、教えることではなく、自由にやってみることの積み重ねだと思います。父親には一生埋まらない器の違いを感じますが、理想は同じく高くもとうと思います。