都会のサラリーマンという壮大なホラー映画

徒然

先日、人生観を変えるほど壮大で貴重な体験をしました。

本日の記事

  1. 偶然の一コマから始まった1時間
  2. 思い返すとホラー映画でしかない
  3. 意味が深すぎて何度も思い返すあの時間

この記事からわかること

時代という外部要因もありますが、子供を持つ父親にとって、労働とは何かを考える記事です。

何気ないことですが、よくよく考えると怖すぎて、意味も深くて、ホラー映画です。

この記事の想定読者

父親になる(なった)都会で働くサラリーマン。

この記事を書いているなぎささんは

転職2回と海外出向経験があり、人生4社目のサラリーマンです。子供もおり、#児の父です。

実家は田舎の自営業、ヨガ教室という育ちです。

偶然の一コマから始まった1時間

さて、まずは強烈な

人生観を変えるほどの強烈な偶然でした。

何かというと、有休で妻とフラッと出かけた先で勤務中の義父に出会いました。しかも路上で。

父は昼食休憩中で、いつものルートを通って職場に戻るところでした。その信号で遭遇。

こっちは車。向こうは青信号に向かって忙しく歩く群集の中の一人。

大都会のど真ん中で、すごい偶然でした。

すかさず声をかけ、ラインでも挨拶したところ、急遽昼食休憩中の空き時間で落合い、その足で職場案内をしてもらいました。

率直な感想は完全なるできリーマンでした カッコいい!

まず、スーツの着こなしが素敵。そして繁華街に似合わない落ち着いた風貌が素敵でした。

これは私の感想でもありますが、何より妻も同じく惚れ込んでいました。

いや、本当にカッコいい人です。

警備員に義父と告げると、「##部長ですね。」と言われ、そこで「部長」=偉い人だったことを知りました。

あの落ち着いた風貌なら確かにそうなる。

義父と過ごす時間

身分をあまりあかせませんが。40年?、とにかく1社一筋にずっと勤め上げ、再任用からの、とうとう今年が最後の年という瞬間の出来事でした。義父の退職と同時か 自社ビルであった本社が移転になり、更に都心のレンタル事務所に移転するようです。

最近どこの会社もしている本社売りで、経営の教科書にもある「固定資産の流動化」対策です。

あのカッコいい風貌は義父ならではのものですが、書いていることはごくごく普通の定年間際の平凡なサラリーマンです。

職場見学に合わせて、同僚にも紹介してもらいました。

偶然と片付けるにはあまりに愛おしい時間

サラリーマンの自分にとって、退職とは恐怖であり、ゴールであり、キャリア設計の肝です。

義父にしてみれば、40年勤め愛着だらけの本社であり、共に今年がその最後の年です。

こっちにしてみれば、偶然でしかないですが、義父が大切にしてきたものを知り、妻を育ててくれた愛と品格の根源を見た気がします。そして、それが見れるのは虹が降ってわいたような今という時の偶然でした。

思い返すとホラー映画でしかない

自分がサラリーマンを知らない家庭に育ちながらも、サラリーマンになることに邁進して生きてきたこともあり、あの偶然を幾度となく思い返し、何度も妻に話しました。「お父さんかっこいいね!」と

自分と同じくらい同意する妻にだんだんと・・・

「え、知らなかったん?」

という言葉がでてくるようになりました。

驚くことに、私と同じくらい妻も新鮮な感動と驚きをもって、父の姿を見ていました。

いやいや、何で知らんの???

よくよく聞くと、そうとも思える

できリーマンの父の陰には、遅帰り、早出勤というモーレツ社員の私生活があり、

故に、家でその姿の父に会うことはほぼないまま大きくなったようです。

これは時代です。父が外で働き、母が家で支えると。

常識ですが、読み替えると、子供は父を知らず、育ち、知らないはずの勤め人を目指し、気付けばそうなっていたとです。(妻も働いています)

ふつふつと湧き上がる疑問

都会の一般家庭では当たり前すぎて疑問もないかもしれませんが、

サラリーマンを知らない家庭で育ち、田舎と都会のコンプレックスもどこか胸に秘めたまま頑張る私にしてみれば、

「なぜその至近距離で父をしらない!」

「なのに、なぜ勤め人になれた」

となるわけです。

サケは本能だけで生まれた川に戻るわけですが、なぜそこを知り、なぜそこを目指し、なぜ命までかける?

と同じ理屈の疑問です。本能に対する疑問は時に生まれと育ちの環境を血に宿すものです。

妻には私にはない品位があり、それが尊敬するところですが、その根深さを見たともいえます。

もし出会わなければ、知らないままだった

これはどこぞの恋愛ソングではありません。真夏のホラー映画です。

もしあの時、偶然群集の中、忙しく青信号を突き進む父に気づき、出会わなければ、

父は死ぬまでずっと、いや、死んでもずっと「お酒とスポーツ観戦が好きで、チワワを抱いたおじさん」でした。

それは私にとってだけではありません。

正にそのために働いてきたのでは?と思われる、妻にとってそうなのです。

品のいいサラリーマンとは、家庭では「お酒とスポーツ観戦とチワワを抱いたおじさん」になりがちです。

繁華街なのに、異常なほどオーラを出すスーツ姿など、見ないと信じられません。

例えが極端ですが、イエスキリストもお釈迦様もムハンマドも、地元では無名か反逆者です。

父は凡人ですが、その凡人に押し付けるにはあまりに残酷な妻の無知と昼間のかっこよさがありました。

さて、あの姿を見ないまま、見れないままの妻の兄弟姉妹はどうなのか。

ホラー映画です。

意味が深すぎて何度も思い返すあの時間

なぜホラー映画と繰り返すかですが、私にとって父はあまりに分かりやすい人でした。

自営業という明快さ

家に帰れば両親がいる家庭でした。私にとっては当たり前でも、父がいつも家にいる家庭は稀だと思います。

会社でも、事務所でもなく、自宅の話です。自宅が職場であり、自宅なんです。

お客さんとも一つのトイレを取り合い、玄関では譲り合い、キッチンでは当番制でインドのチャイを入れます。職業がヨガ教室=体育館なだけに、兄弟3人とその友人も含めての遊び場でした。

忙しく家族以外の人が、家族の如く出入りする空間でしたが、父は声が通るので、どこにいるか、だいだい分かります。家にいなくても、声と動きが大きいので、商店街の両端通しにいてもわかるレベルです。

田舎町のど真ん中という明快さ

更に、我が家はマジで町のど真ん中でした。その名も、住所”市内本丁1組”のみで手紙が届く場所です。

なので、ピアノの習い事では、ピアノの先生に家を開放し、貸し教室も兼ねていました。

この話は根が深く、祖父が生きていたころは、本業=質屋の横で、将棋教室、祖母が健在だったころはお茶教室もしていたようです。

生憎、その頃の祖父母を見ることはありませんでしたが、両親が家にいるというのは当たり前の環境でした。

田舎という一体感

自分が!という特殊な話ではありません。自営業でなくても、地元では誰もが働く父を見て育ったと思います。取引先もお客さんも職場も自宅も、皆なんとなく知りながら、一緒に生きていたように思います。

そして、九州ではだいたいどこも父親が強い。

地元を出て長いので、ねじれた現実を書いているかもしれませんが、

忙しい都会の交差点で、虹が降って沸いたようにあの時父親に出会わなければ、働く父をついぞ知らなかった。

なんてホラー映画は田舎ではないように思います。

父なる私を見せるための在宅ワーク

さて、あの日の偶然を突き詰めると二つの理想がぶつかり合います。

できリーマンでカッコいい義父

才能を家族に認められる父

どっちもなるのが難しいですが、

働く姿をちゃんと見せハイスペックな遊びを繰り出す父

ここら辺が私のねらい目です。

攻略の鍵は在宅ワークと、在宅でも成果と専門性を取得すること。

 

最近、在宅勤務の日を妻子が待ちわびているので、いい関係を続けていきたいです。