【過去】学生時代の大家業 シェアハウスの先駆け
このような状況に恵まれたら、あなたは一体何をしますか?
- 20代の自分に戻れる
- 奨学金は月5万円まで支給される
- 24時間、365日、4年間、自分の意志で完全自由にしていい
はい、これは学生時代の自分であり、あなたです。「本当に好きなこと」=「本当の自分」学生時代の自分を思い返すと、自分の性格がよくわかって面白いです。
本日の記事
- 学生時代の大家業
- 今と共通する性格
- 今後の自分に思うこと
この記事を書いている私は
学生ながらに大家業をしていました。思えば、自分の不動産好きや投資好きな性格はここからきているのだと思います。
当時、私のシェアハウスの前には、本物の地主大家さんが住んでいました。マンション1棟+戸建て賃貸3軒を経営する大物です。そんな大家さんを相手に、当時まだ「シェアハウス」という言葉がないのに、よくぞ説得したなと、懐かしくこの記事を書いています。
なぎささんの性格がよくわかる記事だと思って、読んでください。
1.学生時代の大家業
✓始めたきっかけはなにか?
きっかけはインド人留学生の生活ぶりを知ったことからでした。
当時、私はインド留学から帰り、自分の下宿探しをしていました。できれば一人暮らしではなく、共同生活をしたいと思っていました。そんなときに、大学の寮を出たインド人留学生が、4LDKの家庭用マンションに住んでいることを知りました。家賃は6万円÷4人=負担15,000円!学生の賃貸相場の底値が3万円だったので、その半値で4倍以上のスペースといのは驚きでした。風呂やトイレ、キッチンの設備も段違いでレベルUP。バイトもやめられる。いい話に思えました。
✓どうやって始めたか?
課題と対策
当時はまだ「シェアハウス」という言葉がありませんでした。
仲介業者にも、大家さん側にも、自分のしたいことの説明が必要でした。
「だれが住むのか」「だれの名義で借りるのか」「大家さんが許すのか」
前例がないことが課題でした。
そのため、数少ない前例にすがり、インド人留学生に仲介業者を紹介してもらいました。また、それと同時に、同居人の確保にも走り回りました。
具体例
え!家族づくり?
一言でいえば、「ナンパです」失うものがないというのは強いです(今はムリ)
- 大学の学生寮で、近々寮を出る予定の人に声かけ(女性)
- 昔の下宿で、下の階に住んでいた人に声かけ(男性 先輩)
- バスの中で隣に座った人に声かけ(男性 外国人)
この3人とも、自己紹介もなしに「一緒に住もう!」と声をかけ、その場で家族にしてしまいました。
ワンピースでそんなシーン、ありましたね。ルブルックとか。
課題2
家族!なんだか、その言葉に楽しくなり、ノリノリでした。
すると、思わぬ問題が!
そのインド人留学生の騒音とスパイス臭が原因で、上下両隣の部屋が空室になってしまったことを知らされました。。。世の中何でも、「新しいものは怪しい!」というのは、このことです。今度は怪しさを払拭するのに、手を焼きました。
- 「そのインド人からの紹介です。。。が、」
- 「私は礼儀正しい…日本人です。」「名前には“棒線”がはいって、“なーぎ”と言います…」
- 「同居人は、みんな学生で、そのうちの一人は外国人です。」
- 「同居人は、間取り次第でこれから探します」
あやしいですよね。。。
対策2
結局、親に保証人になってもらい、解決しました。一人下宿でも必要ですが、大人の力はスゴイと知らされました。
この後、物件と住居人のマッチング、敷金・礼金のゼロ円交渉、家賃交渉、家具・内装品の調達、住居人の入れ替わり、と色々ドラマが続きました。
✓どんな生活ぶりだったか?
- 家賃8万円÷4人=負担2万円 → バイト不要!
- 住居人の出入りはあれど、空室時期はゼロ!
- 食事は、多国籍
- 貧しいときは、カレーパーティー
- 富めるときは、やっぱりパーティー
シェアハウスという言葉がなかった時代なので、家を「なーぎ家」、住居人を「家族」と呼んで生活していました。
学生が共同生活をするとよくあるのが、ケンカと貧乏への向き合い方です。そこで、私がよくしていたのが、カレーパーティーです。インド留学から帰ったばかりの私が、個人直輸入のスパイスで作る本格インドカレーです。外国好きな女子が多いという校風もあいまって、パーティーをすれば人は集まりました。
✓どんなメンタルだったか?
「お客さんが来れば、家族は協力しあって、ケンカしない」
これは、自営業の家で育った私ならではの鉄則でした。
さらに、パーティーをすると、その残り物で食費が浮き、残ったお酒で次のパーティーの口実も付きます。貧乏なときに爆買いする、家庭内問題があるときに人を呼ぶ。これは一見矛盾した行動ですが、美味しいインドカレーで解決するというのが「なーぎ家」の問題解決でした。その精神を実践するため、私の部屋は台所の横でした。最も悪い間取りを進んで受け入れていたこともうまくいった理由です。
2.今と共通する性格
✓投資好き
当時の学生賃貸は3~6万円が相場でした。8万円といえば、だいたい倍額。月5万円の奨学金とバランスすると収入オーバー。空室リスクが出れば、一発アウト。それでも、バイトなしで乗り切り、空室ゼロの自信もあったというのが当時の私です。リスクもリターンも学生ならではの少額ですが、今と同じで投資好きだと思います。結果的には、2年間、本当に空室ゼロ+バイトゼロを実現しました。
✓楽しさが集客力
空室ゼロの自信は、同居人が楽しんでいたからです。決してお願いしたわけではないですが、生活が楽しければ、自然と周囲に「新しい生活様式」の話をするものです。そのおかげもあって、入れ替わりがあっても、次の入居がありました。パーティーをしても、人が集まりました。食事もお酒もレベルアップしました。妻との結婚は、このころの付き合いが始まりです。
✓自分の取り分は最後
投資をするには、家族の了承が必要です。ここで書くくらいなので、家族に秘密はありません。その前提で、投資のリターンは、同意をしてくれた妻=株主への配当に使っています。配当の約束を守ることで、次の投資にも同意してもらう。株主と社長の関係だと思っています。株主=欲しいもの。社長=したいこと。仲が良ければ、補い合って成長できると思っています。
3.今後の自分に思うこと
まだ秘密ですが、次の投資を仕込んでいます。