恩師 ラーマスワルーパナンダジが他界 多くの思い出が駆け抜けます

インド経験 徒然

  • インドの奥深さと広さを誰よりも教えてくれた
  • 父親の凄さを誰よりも伝えてくれた
  • 赤ちゃんの頃から私を見ていてくれた

ある種、親戚のおじさんにも似たインドのお坊さんが昨日(8/14)なくなりました。

お盆(8/14)の日になくなり、インド独立記念日(8/15)にこの記事を書く今、静かな祈りが指先に宿ります。

本日の記事

  1. 恩師 ラーマスワルーパナンダジが8/14に他界しました
  2. 恩師 ラーマスワルーパナンダジの紹介
  3. 父とラムジの日印交流
  4. 恩師と過ごした濃ゆい2ヶ月間
  5. 恩師の逝去を知り今思うこと

この記事からわかること

インドの奥深さと広さが少しでも伝わればと思います。

インドはとても広い国ですが、世界中の印僑やヨガコミュニティーを加えると、もっと広さがあります。また、そこに人間関係を組み合わさるととても深いものがあります。

なかなか文字では伝えにくいですが、恩師への追悼文として紹介できればと思います。

この記事を書いているなぎささんは

恩師とは赤ちゃんの頃からのご縁です。親戚のおじさんにも似た感覚です。

私はヨガ教室という日印の文化交流を生業とした家庭で生まれ育ちました。大学時代は、長男として家業を継ぐために、恩師のワールドツアーに同行しました。サンフランシスコから始まり、シカゴ、ニューヨーク、ロンドン、イタリヤ、インド、中国との国境。2ヶ月間ではありますが、世界中の印僑やヨガコミュニティーと触れ合う中で、家業やインドの懐の深さを知りました。

1.恩師 ラーマスワルーパナンダジが8/14に他界しました

インドの広さと深さを誰よりも教えてくれた恩師ラーマスワルーパナンダジは8/14に自宅のウッタラカシで亡くなりました。

「亡くなる」というのは、日本語で分かりやすくするために、この表現にしています。関係者の中では”left body”=「魂が体を抜けた」と表現しています。「魂は死なない」というインド哲学に尊敬の念を込めているためです。死という言葉を使わないので、今だにその別れを実感できません。ここではラーマスワルーパナンダジのことを、愛称「ラムジ」と書かせてもらいます。

2.恩師 ラーマスワルーパナンダジの紹介

家族ぐるみでの長い付き合いがあるので、その目線で恩師の紹介をします。

✔︎生い立ち

恩師はインド東海岸のオリッサ州で、(たしか、、、)7人兄弟の末っ子として生まれ育ちました。10代の時にスピリチュアルな世界に目覚め、インド各地でグル探しをし、リシケシのシヴァナンダアシュラムで2代目総長チダナンダジのところに弟子入りしました。

✔︎世界ツアーでは縁の下の力持ち

インドでは出家僧は大変尊敬されています。

出家僧にどれだけおもてなしをできるかは、一族のプライドであり、ステータスです。お坊さんが家にいる時は、一家の主人はお坊さんになります。これはインド特有のことではなく、印僑やヨガコミュニティーも含めた「インド世界」の話です。インドで徳のあるお坊さんはこの広大な「インド世界」で大切にされます。

ラムジが仕えたチダナンダジは、その意味で、インド世界が認める高僧であり、珍しくNHKで特集されました。このワールドツアーを縁の下で27年間支えてきたのがラムジです。

✔︎すごい親日家

ラムジはすごい親日家でした。

ヨガ(特に瞑想)は、禅と正座の文化がある日本にはとても親和性があります。また、年配を敬ったり、師弟関係への理解がある国民性は、彼にとってとても大切でした。

これは、静かにすることすら難しいイタリアの国民性や、実力主義のアメリカ人と比べると違いが顕著です。

✔︎すごい子供好き

子供や動物にモテることは、ある種、最も分かりやすい器の指標です。

お坊さんや出家僧というと、どうしても年寄りの世界と思いがちですが、直感的に赤ちゃんや子供に受け入れてもらえる恩師はすごいと思いました。

3.父とラムジの日印交流

一見縁遠いインドを近くに感じたのは父のすごさです。私にとってはとても思い出深いラムジの初回日本ツアーを紹介します。

✔︎最初の日本ツアー

父が最初にラムジの日本ツアーを受け入れたのは、ラムジが出身母体のシバナンダアシュラムを破門になった直後のことでした。

シバナンダアシュラムはその世界では誰もが知る巨大組織です。そこの総長であり、直々の師匠であるチダナンダジから名指しで「破門」された直後でした。受入れは微妙だったと思います。父にとっては大きな取引先であるとともに、母との思い出の場所でもあります。それなのに、対応方法を悩まず、派手で分かりやすい対応をとったことは、男だと思います。

✔︎説明下手でも涙で通じさせる父の人情

父は、涙ながらに、ラムジを守りました。

この光景は子供の私にとってもとても衝撃的でした。

まず、誰(3歳児ぶりの再開)?そして、なぜ破門?で、人を集めて何をしたいの?

この当たり前すぎる質問を全てスルーして、全国から集めた自分のファンに一体感を語りました。というか、語る内容もないため、涙ながらに、人情で「守る」と言っていました。すごく意味不明な出会い方でしたが、大切な人ということだけは伝わりました。

今にして思えば、これだけ意味不明な守り方をし合うのが、本当の絆かもしれません。

✔︎人情こそが日印の親和性

父は熱意と感動で動く人です。とてもわかりやすいです。

そして、インド人はそれに加えて、プライドとボランティア精神も上乗せしてくれる人たちです。通じ合えば、すごく相性がいいです。

ビジネス目的でインドに行き、相性の不一致を感じる話を多々見聞きしますが、父とラムジはその真逆で、とても信頼しあえる人間関係でした。大切にしているものがお互いの文化だったことが大きいです。

4.恩師と過ごした濃ゆい2ヶ月間

私は長男として父の仕事を継ぐために、ラムジの世界ツアーに2ヶ月間、鞄持ちとして同行しました。大学1年生の夏休みで19歳のことです。

✔︎インドの広さを知った

ツアーは全てホストファミリーの自宅で行われ、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、ロンドン、デリー、リシケシ、ウッタラカシと続きました。世界一周です。

この間最も驚いたのは、出会う人全てがインド人かインドの思想に染まった人たちでした。日本人の感覚でいうとマニアックな世界に思えますが、とても広い世界です。家にインドのお坊さんがいるというのは、この世界ではとても名誉なことです。周囲からどんどんお声がかかり、どの家庭でも惜しまれながらその地を去りました。

サンフランシスコではビバリーヒルズ?的なところに招待されました。

シカゴでは敷地が見渡せないような大豪邸の敷地内にある寺院(なぜ?)に招かれました。

デリーでは、現職の榎木駐印大使の奥様から直接ご挨拶のお電話がかかりました。

これら全ては、庶民の一般家庭を起点に起こったことです。そして、世界一周したにも関わらず、結局ほとんどインド人にしか会わずに終わりました。インドは地図で見るより広かったです。

✔︎インドの深さを知った

ラムジはインドでは「スワミジ」と言われる出家僧です。

私財は持たず、スーツケース一つでいつまでも世界をグルグル回る生活をしていました。私財なしでどうやって生きていけるのか?日々、お金や仕事、人間関係に悩む平凡なサラリーマンからしたらなかなか理解のできない世界です。

その秘訣は信頼関係です。

父と同じような人が世界中にいました。スワミジに来てもらうために、往復の飛行機代を喜んで払い、滞在中は家を引渡し、その後も次の行き先を手配して、場合によっては追っかけをする。人によっては最新のP Cやブランクの小切手、別荘を寄付するような人もいました。いっぱい支援することで、どこからともなく支援者にも物心両面で徳がついてきます。

信じがたい光景ですが、人情ありきの生活を2ヶ月間一緒に過ごし、インドの深さを知りました。

5.恩師の逝去を知り今思うこと

この世界では「死」という言葉を使わないので、なかなか実感が湧きません。

✔︎インドが遠のきました

ただ、いざ会いに行こうとすると、初動でつまづき、目的地を見失い、そして初めて現実を知ります。いつかコロナが落ち着いたら娘を見せたいと思っていましたが、それもかなわないようです。結婚式にもビデオ出演してもらったので、家族として残念です。

✔︎残念=Sorry というネガティブ発言が大嫌いだった恩師

もし恩師がこの文章を読んだとしたら、怒るでしょう。

残念、ごめん、悲しい。。。そういったネガティブ発言が大嫌いで、度々言い直しをさせられていました。

✔︎魂は死なない

おそらく、ラムジはこう言うでしょう。

「体という制限から脱したのだ」

死という言葉はこの世界にはないようです。インド独立記念日の今日においてはベストフレーズです。チダナンダジが亡くなった時、ラムジは自身のブログで、「今最も恩師チダンアンダジを身近に感じる」と書いていました。

私も同じく、ラムジが生きていた一昨日より、他界した今日の方が身近に感じます。

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