【公開】電子出版#1 私の10年来の夢 ムンバイ日本人墓地公園とは?目指せ総理大臣のインド滞在期間

徒然 電子出版

今年の目標にある「電子出版」。

  • いったい何のことでしょう?
  • 内容は?
  • 売れるの?

こんな疑問に、出版内容の先行公開で答えていこうと思います。

本日の記事

  1. 目指せ総理大臣のインド滞在期間❗️
  2. ムンバイ日本人墓地公園とは?
  3. 売上利益を寄付したい 販売戦略求む

この記事から得られるもの

どんなインドオタクも知らない、インドと日本の交流の歴史を知ることになります。そして、この事実は、今後必ず注目を集めます。知っている人は、後々その常識レベルを評価されます。(自意識過剰かオレ❗️

この記事を書いている私は

大学の卒論でこのテーマを書いて以来、10年間ず~~~と、この本の「出版」を夢に見てきました。先日、年賀状で恩師に「出版の夢」を打ち明けたところ、何と思わぬ資料が飛び込んできました❗️10文字にも至らない「年賀状の添え書き」で、ここまで需要と供給がマッチしたことは人生ありません。火がついてしまったので、6ヶ月後に予定していた番宣記事を先取りすることにします。

1.目指せ総理大臣のインド滞在期間❗️

これから紹介する内容は、今後の首相訪問時の名所となりえる話です。(出版前だから言いたい放題♪)

✔︎日本とインドは毎年首相が行き来する仲

日本とインドは、世界で一番仲の良い国です。こんな実感ないですよね。。。

仲が良いと言い切る理由は、首脳の行き来の頻度です。日本とインドは「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」という共同声明を上げており、毎年、両国首脳がお互いに国を行き来しています。しかも、2005年の初年度から今までずっと続いている方針です。こんなに仲の良い二カ国関係は、世界中見渡しても多くないです。

✔︎訪問目的は友好関係の維持・拡大

2013年には、天皇皇后両陛下も、インドを訪問されました。

お互いに行き来が絶えないのは、友好関係の一言に尽きます。16年も続く活動はあまりありません。両国とも首相だけでなく、政権交代もありました。国際的な地位の変動もありました。多くの変わりゆくものの中で、変わらず、深まる関係、というのは大切です。

2.ムンバイ日本人墓地公園とは?

✔︎意外に知られていない

インドに日本人墓地公園があることは、あまり知られていません。

私の実家は、インドとの文化交流で生計を立てていますが、それを知る人はいません。大学ではヒンディー語を専攻しましたが、あんなにインドオタクの教授にも、知る人はいませんでした。日印協会という、100年以上続く有名組織がありますが、たぶん知られていません。唯一、インド専門の旅行会社の人は知っていましたが、多分そのくらいです。出版活動を通して、歴史認識と共に、日印友好に貢献したい!というのが、私の思いです。

✔︎概要

  • インドの商都ムンバイにある
  • 1908年に墓地の永年使用許可を当時の日本人会が得ている
  • 現在の管理者は日本山妙法寺ムンバイ道場
  • 墓地には1891年以来、インドでなくなった日本人が祀られている

詳しくは、出版します!

✔︎日本は過去にこんなにもインドを重視した

日本の外交方針は、今も昔も中国重視。アメリカ(今)や大英帝国(過去)との軍事同盟があったとはいえ、長い目で見たら中国重視です。そのピークポイントはいつか。日清戦争です。

というのは表向きで、実は日清戦争の前後、直前でめちゃくちゃインドが重視されました。日清戦争の開戦当月、こんな軍歌『軍人学生必読進撃新軍歌 ムンバイ航路』が流行ったことを知っていましたか?政治も、財閥も、軍隊も、銀行も。この時、多くの日本人が、電光石火のように急にインドを目指しました。

なぜでしょう?

詳しくは、出版します!

✔︎その先陣を切った日本人はだれか?

インドを目指した日本人はついていきなり驚きました。なぜなら、航路や貿易がないにもかかわらず、既にそこには多くの日本人が商売をしていたからです。

彼ら?彼女ら?は一体何者でしょうか?

✔︎その日本人はどんな貢献をしたか?

彼ら、彼女らはインドで商売に励む一方で、日露戦争の義援金も集めていました。

募金者名簿が入手できました。募金者の名前と金額だけでなく、出身地もわかります。インドに航路できる前からインドで働いていた日本人。そのお墓。その歴史。

一体どんな人たちで、どんな人生だったのでしょうか?

詳しくは、出版します。

✔︎その人たちは今どうしている?

今となっては消えた職業です。この人たちの貢献で今の日本があるのかもしれません。

詳しくは、出版します。