自宅と自炊と家族の時間 全てが愛おしいのはその真逆のインド5年間のおかげ(せい!)
先日は個人攻撃のように、弟にキッチンリフォームの哲学を書きました。(関連記事)
大した人間でもないのにエラそうなことを💢。反省しています(別に怒られてはいませんよ〜)。
反省ついでに、一部自虐しながら(すっかり関西人?)、それでも台所が大切な理由を語ります。
本日の記事
- 全てが今と真逆のインド5年間 自炊はマジでゼロ
- 全てが今と真逆 妻(当時の彼女)との時間は1年で3日
- 全てが今と真逆 ホテル暮らしの5年間
この記事からわかること
人間は一種の極端を味わうと、本当に大切なものに気づきます。その気づきが人生の豊さです。
想定読者
恥ずかしながら、妻1人です。
この記事を書いている私は
家事疲れでようやく24時に自由時間を手にしました。自家製梅酒によったこともあり、妻への思い・感謝を思いながら書いています。が、恥ずかしいので、本人は読まないでください。
全てが今と真逆のインド5年間 自炊はマジでゼロ
少しマイルドに始めます。
今とは真逆の過去
社食さえ食べず、自家製おにぎり100%でやり過ごす私にとって、実は今とは真逆の過去がありました。
人間、あまりに偏った生活をすると、その真逆を求めるものかもしれません。そこは育ちに感謝です。求めても、求めても、自炊ゼロだったので、家庭の味にありついた時には、失敗なんてありませんでした。全てがうれしく、幸せです。今でも幸せです。
ま、作っているのは、私ですが、、、
それはさておき、
独身時代の私は自炊ゼロでした
全てはインドのせいですが、私の結婚前の5年間は、マジで自炊ゼロの生活でした。(正しくいうと、バーベキューくらいは・・・)ザックリいうとホテル暮らしでした。和食の恋しさは、ホテルのルームサービスでどうにかできました。しかし、自炊や手料理の恋しさは本当にどうしようもありませんでした。あまりにゼロの生活が続くと、潜在的欲求も、忘れていたように思います。インドでは珍しく、電話一本で寿司でもビザでも出前できる男になっていました。外出すれば、ワイン用ブドウ畑からステーキハウスまで、絶対にインドでないような空間にも通じていました。毎日ルームサービスで頼むマグロ丼は、半年間も部屋付状態で、支払いさえしてませんでした。
ここまで来ると、逆にすごい。と思います。
でも、今は雑穀米と納豆ご飯が大好きな毎日
これは冗談ではなく、娘がそうなっています。
いい習慣なので、辞めさせたくなく、引きずられて私も朝は雑穀米の納豆巻きです。
外食100%から、自炊100%。しかも、雑穀米。食生活の変化は大きなものがあります。
日常食も昼はインドの社食100%から、自家製おにぎりで社食ゼロ。
両極端な生活に思えますが、今がいいです。
今思えば、この変化の折り返し地点は結婚とキッチンリフォーム
ここだけは弟へのメッセージですが、キッチンリフォームは食生活を変える大きなきっかけです。
是非大事にしてください。(くどいか・・・?)
全てが今と真逆 妻(当時の彼女)の時間は1年で3日
さて、ここからは妻に向けてですが、
この食生活の変化も、今の幸せに暮らしているのは妻のおかげです。
妻(当時の彼女)との出会い
普段は未来しか考えない私ですが、この一点においては、過去にこだわります。
妻(当時の彼女)とは、私のインド出向の前夜から付き合い始めました。それまでの付き合いは実はありません。友人です。Just a friend! 付き合うと決めた翌日には、片道切符でインドに飛びました。そんな驚きの付き合い方と別れ方でした。
でも、妻は私が帰るまで5年間、ずっと待っていてくれました。
この待ち方はある種の「無期懲役」です。期限なんて伝えていませんし、自分の特性上、本当に片道切符のつもりのインドでした。当時の上司はこの光景を信じてませんでした。(出向直前の私はこんな感じ)
周囲の心配
嫁の父はどれほど心配したことか。物理的に、私は帰らぬ人でした。
親父には、ことを落ち着かせるために「結納」という形をとって場を納めました。この段階でも帰任日は決まってませんでした。親父の立場も微妙だったと思います。
「世間の20歳(前半)の女性はもっと冷酷だぞ!」
と結納の席で妻を立てた親父を忘れません。
こんな深い愛情は人生感じたことがないですし、これからもないでしょう。
当時は年に3日、今では毎日
インド時代は多くて年に3日くらいしか会えませんでした。
よくこんなんで人間関係が続いたと思います。親父に似てか、私は女性運がいいです。
前半、マイルドに「自炊ゼロゆえの切望」を書きましたが、家族の時間というのはそれ以上のものがあります。
酔った勢いもありますが、
私は妻のことが世界で一番好きです。
ダントツの1番です。よ。毎日一緒にいれる日々がとても幸せです。本当に好きです。
さて、恥ずかしいので、深入りせずに書き続けます。
全てが今と真逆 ホテル暮らしの5年間
「暮らし」というのは「日々」であり、自分そのものです。
インド5年間はホテル暮らしでした
細かく言えば、色々紆余曲折はありますが、ずっとホテル暮らしでした。
根が浅く、地元愛のない生活
いいように見えて、賃貸より身軽な分、根が浅いです。住んでいるようで、そこへの愛着が深まりません。
あれだけインド特性を尖らせた私なのに。今思い返しても意外です。
思うに、所有権と日々の祈りがないと、生活は深まりません。
所有の魅力
妻への愛情は、愛着の深まる生活があってこそ、永遠になります。
動物的な考えかもしれませんが、所有の魅力は家族への愛情の裏返しです。
祈ると思いは強くなる
私は毎週教会に通います。そんな真面目な信者ではありませんでしたが、妻が妊娠(今の娘)したのを機に、習慣化しました。毎週末、同じ場所で、同じように家族の幸せを祈っていると、深い幸せを感じます。
簡単に言うと、地元で家族ぐるみの、しかも利害関係のない付き合いがあると言うのは心の余裕です。貧しくとも、忙しくとも、みんな寄付をするくらいの心の余裕を持ってここにきます。そして祈ります。
別に教会の宣伝をしたいわけではないですが、このような習慣があると、家族仲も、地域との絆も深まります。
その上で、教会は冠婚葬祭をする場所なので、娘の結婚も含めて、死ぬまで続けることができます。
夫婦で死んだら埋葬される場所に家族で毎週通い、地域の子供とお庭遊びをして、新しい1週間が始まる。私にとっては、いいリフレッシュです。
今、昇格試験の合格もですが、大切に温めているものがあるので、今はそれを大事にしています。