転職します!#8 去りゆく現職の会社での思い出 自他共に認める緩い会社の一日
昨日の記事の続きです。
現職を悪くいうのは嫌ですが、ユルい会社にいた私にとって、次どこに行こうと苦労することは確実です。
今の日常が他社の非常識!と感じた瞬間を敢えて自分のために文字起こしをします。
今日の記事
- この会社 ヤバ!と思った日の出来事
- その結果私がしたこと
- 私の今の心境
この記事からわかること
そんなユルい会社もこの世にあることがわかります。
それと同時に、ユルい会社で自分を腐らせない工夫もわかります。
この記事の想定読者
私のみ。自分への戒めのつもりで書いています。
(会社への悪意も恨みもないので、変に読み違いて悪く解釈しないでください。)
この記事を書いている私は
自他共に認めるユルい会社で4年間働いてきました。前職は厳しい方の会社だったと思いますが、どこに行こうと次の会社は今より厳しいこと間違いなしです。
社外から来た役員にもそう諭され、気を引き締められました。
この会社 ヤバ!と思った日の出来事
会議の緊張感というのはどこの会社も「社風」を色濃く出すものだと思います。
困ったことに、これから書くことはユルい会社のユルい方に分類される会議ですが、それをとがめる人がいないのが日常です。
当時の私はまだ前職 株式会社エクセディのマインドだった
エクセディの社員は全社・全員一様に下記のことを叩き込まれています。
- 会議は基本30分以内。
- 議事録は最悪でも24時間以内に配信必要。
- ベストは会議前に「事前議事録」を書いておき、会議中に送信。
- 会議では、いつまでに、誰が、何をするのかを明確に決める。
- もし「いつまで」が決まらないのなら、2日、2週間、2ヶ月の3択から決める。
特に、最後の納期設定は「に、に、に」=スピーディーに!!!という精神をお経の如く叩き込まれておりました。
正直、お客さんや外部からの出向者がビビる時間感覚でした。
その会議の立ち位置
代替わりしたばかりの新社長が外部から招聘した事業統括役に「原価改善」を命じたことが発端で呼び集められた会議でした。
議長はその統括役。社内用語では「主査」。参加者は各部部長。
まずはキックオフミーティングを趣旨に調達部長の代行出席という形で出席しました。まだ入社間もない1、2ヶ月目の時です。
内心では、前職の購買と財務の経験を両方活かせる良いチャンスと期待していました。
遅刻40分で始まりお咎めなし
自分の部署がユルいということにはそうそう気がついていました。気になるのは他部署やその上級役職者。その雰囲気が一気にわかる場所として、少々緊張感を持って参加しました。
結果、
会議室に時間通りに来たのは私と議長のみ。
え!!!
議長は自分が呼んだのに他の参加者を把握しておらず(マジで?)、個別にPHPで呼び出し始め、結局集まったのは40分後。
(生まれて初めてピッチを持たされました・・・)
会議設定は2時間で、その半分くらいを遅刻参加者の招集にピッチを使いながら行うという仕事でした。
もちろん会議招集は事前にされています。
事前資料、会議資料、事後資料、宿題 一切なし
さて、各部の部長が全員出そろい(なぜか私だけ代行)、何を始めると思いきや、まさかのおしゃべり。
そう、資料が一切ない状態で、2時間が終わりました。
内容としては販管費の配賦率を再?設定をしたく、その背景説明とのことでした。
今思い返してもメールだけで十分なのですが、敢えて人を集めるからには今後の宿題があるのだと思ったのですが、それもなく。
「配賦率の再設定をするために、原価計算書の見方を説明する」
ということで、勉強会がその後8回も組まれました。
思わず、何度も確認してしまい、アホ扱いを受ける?
部長の代行出席として議事録を意識していたので、
「この会議での持ち帰り事項(=宿題)はなしということでよろしいですか?」
「特に資料もなかったということでよろしいですか?」
濁す社風、決めない社風なので、YESもNOもなく、フワッと質問は蒸発し、会議は終わりました。
私が思ったこと
積極的に会議に参加し、24時間以内に議事録配信し、担当と宿題と納期の明確化を!!!と
エクセディなら当たり前のことですが、「宿題がない」が「次がある」。しかも8回も。というどうして良いかわからない状況でした。
「代行出席者」として、一体どういう顔をして部長報告すべきか。。。
議事録が無価値であることは薄々感じていた
この会議とは別件ですが、課長には新入社員として出席した会議には全て議事録を報告するよう求められていました。
当たり前のことです。
ただ、上記のようなサラッとした会議の議事録作成に私と先輩社員と課長の間で5往復も修正が施され、結局その後誰にも回覧されないまま課長止まりになるような仕事が日々続いていました。
元エクセディの社員としては議事録を即日終えないことに焦りが募りましたが、5日間止めても誰も咎められないことは、ある種の「教育」でした。
しかも5日かけた超大作(5行くらいの文章)を回覧する相手がいないというのもショック。
議事録を見て仕事をする人はいない社風だと身につきました。
議事録が紙+印という仕事の仕方もショックだったのですが、その修正指示が付箋+ペンでまた読みにくく。課長は隣の席なので、画面を見せたところ紙を求められ、ふと目に写った課長のPCには4千件近い未読メールがありました。
この人だけかと思いきや、部内の課長3人とも同じ状態。
メールが機能しないので、紙で回覧し、それが関係者のところに行き着くのは早くて翌日or私の戻ってきて書き直し。
結論、仕事に納期がないことを教育されました。
結局 議事録は書かずに、何もせず終えた
普段の会議は議事録を報告していたのですが、流石に今回の会議だけは資料も宿題も役割もないおしゃべりだったので要点整理が難しく、悩みました。
結果、とった行動が「だんまり」でした。
意外にもこれが一番仕事が早く、私と課長の間に挟まれた先輩社員への気遣いでもありました。
余談ですが、部内構成は部長1名+(こんな)課長3名と平社員4名
年功序列の会社なので管理職の業務スキルは悲惨なものでしたが、管理職の多さも驚きです。
管理職と平社員が1体1。
前者は英語はもちろん、PCも会計の一般知識もなく、数千件の未読メールとジェンガのような書類の山の中で居眠りも半分、夜型残業の仕事をしていました。
意外に部下の平社員はちゃんとしていたので、そこはまだよかったですが、人数比が悲劇的でした。
話を戻すと、
この会議でカルチャーショックだったことは
自分の部署がユルい認識は入社直後からありましたが、
どの部署も大差なくユルいというのがこの社長指示の会議の結論でした。
その結果私がしたこと
芦森工業への転職はカルチャーショックでした。勤怠以外に電算処理されるものは一切なく、全てが紙でした。紙の原因はおそらく管理職が極端にPC音痴なのとメールを見ない習慣。
会社に慣れることが善か自問自答
期待を胸に転職し、やる気で満ちあふれていた私ですが、上記の会議に出たことをきっかけにこの会社に馴染むのがいいのか、かなり自問自答しました。
私が常識としてエクセディで叩き込まれた仕事の仕方は無価値であり。私の強みである海外での調達経験は活かす場所はなさそうでした。
ただ、それでも給料は上がったし、通勤時間は半減したし、その他全ての福利厚生面で改善したので、文句を言ってはダメだとも思いました。
副業投資で過去のスキルを温存すべし!
どうしたら会社に馴染みながら、過去のスキルを温存できるか。
正直腐りたくない。。。
その答えが、太陽光投資でした。
太陽光はある種 メーカーの極みです。
火力発電のように設備+人+仕入れで構成される原価構成の中から、人件費と仕入を完全にゼロにしたメーカーの最終形態です。消費税の事業区分も太陽光は火力発電や自動車業界と同じメーカーです。
それに上乗せして国策で客引き不要。取引形態が簡単なので、スマホアプリでAIの自動仕分けを駆使すれば財務部もなくせます。
あとは社長業界として、銀行周り、納税と節税、外注管理をし、業界規制や同業者との交流に専念すればいいのです。
私の今の心境
あの時の戦略と勇気ありきで今があると思います。
副業投資のおかげで過去のスキルを温存できた
悲しい話ですが、現職の職務説明ばかりを求めてきた面接ではほとんどが落ちました。
一方、過去からの業務の繋がりで自分の能力アピールができた会社は全て受かりました。
ここのスキルを、たとえ今使えてなくても、どう温存するか。
副業投資があったおかげで私は自信がなんとか保て、自分の能力説明ができたと思います。
※もちろん、副業アピールはしていません。ただ、次の会社は副業OKで、人事にも説明済み。
転職時の自己PRは現職4年間ではなく、社会人としての11年のキャリア
私の強みは海外勤務に裏打ちされた前向きさと挑戦意欲です。
最初の仕事ではエクセディでグループ最大拠点の工場を作るプロジェクトに参加し、その1人目の社員に抜擢されインドに赴任しました。
業務内容は主には購買業務をメインに、土地・建物・設備・量産資材・副資材の全ての購買を担当しました。
本社帰任後は後々の海外子会社管理を見越して財務部に配属され、単体決算の固定資産管理をしました。
現職では、海外での調達経験と財務部で鍛えたデータ分析能力を生かし、本社トップダウンで海外小会社含めた発注先選定をしています。
志望動機ですが、私は新卒の就職活動以来、グローバルに活躍する日本のメーカーをキャリアの主軸に働いてきました。
私が思うに御社は* * *な会社です。自ら情報取りをし、考え、提案型動ける社員を必要としていると思います。
私は与信調査もでき、グローバルに調達戦略を考えることができるので、是非とも御社のお役に立ちたいと思っています。
〜〜〜という感じの自己PRを各社にして回りました。
調達中心の11年のキャリアというストーリーの中で、できるだけ現職4年間を薄めるように自己アピールしました。
過去を今のように語れた背景は副業のおかげ
太陽光発電事業をする中で、
インド時代の購買経験を活かし、田舎の土地買収し、設備買付けと外注管理をしてきました。
また、財務部時代の経験を活かし、AIのクラウドアプリで決算書と税務申告ができるように環境を整えました。
いずれも上司や前任者や同僚がいるような話ではなく、自ら情報取りと勉強をし、自分の意思で道を切開いてきました。
必要であれば、市役所や税務署や経産省や同業者など、他人任せにするのではなく自ら一時情報を探し、直接確認することを大切にしました。
個人的には過去スキルの温存には成功と思っています。
なんぜ、420万円の給与年収で1億円の借金を背負い、その勇気と勉強意欲でやっていますんで!!!
次の職場では本業で輝きたい!!!
前職の愚痴と副業の見栄はそこそこに、男としては本業で輝きたいし、そのためにはまずは新しい職場に馴染むことが大切です。
現職の会社にまだ1日出勤日を残しますが、早速転職先の大学同期と新年会です。#転職#新年会#大学同窓会#咲耶会 https://t.co/7l37HjiLSp
— なぎささん 太陽光と不動産で夫婦3馬力を狙う (@nagisasan1234) January 9, 2023
次の仕事は集中購買会社での企画の仕事です。
少しでも会社のためになるよう、提案型の人間でいたく思います。