母校で講義しました!第11回咲耶茶論 2025/1/25 @大阪大学箕面キャンパス
先日の記事(します!)の続きです。
講義資料
本日の記事
- なぜ今注目されるのか 私の卒論
- なぜ明治初期、日本は貧しく、インドが豊かだったのか
- なぜ日清戦争の裏で、日本はインドを重宝したのか
- 日本人墓地の概要
- なぜ国交樹立以前からインドには日本人のお墓があるのか
- 日本人墓地の意義とは何か
この記事からわかること
講義動画の概要が分かります。
動画は2時間もあり、チョーー長いです。(一人で2時間話すなんて、俺は中田敦彦か!)
倍速再生で家事でもしながらイヤホンで聞いてもらうのがベストですが、文字派の人もいるのでは?とのことで書いています。
この記事の想定読者
インドとの交流に興味がある方。
この記事を書いているなぎささんは
卒業後もダラダラとですが、自分の卒論研究の続きをしていました。かれこれ14年?。
母校大阪大学で講義!ということになり、夜な夜な1か月半、毎晩22~25時まで資料作成をしていました。
その上で、熱がこもりすぎてしまい(分量オーバー)、一人リハーサルをしながら2時間に収まるように頑張って削ったのが冒頭の講義動画です。
もっとしゃべれます(目指せ 中田敦彦???)
なぜ今注目されるのか 私の卒論
インドには国交樹立以前から日本人の墓地があります。
私の卒論『日本人墓地と日印交流の歴史』
ムンバイ日本人会が2009年に100周年記念冊子をネット公開しており、これが私をはじめ、多くの人にのとってまとまった資料といえるでしょう。
しかし、「なぜ国交樹立以前から日本人がそこにいたのか」「なぜ当時日本人がインドを目指したのか」「最初の定住者の人生がどうであったのか」そのような疑問に答えるものはあまりなく、恐らく今に至るまで私の卒論がベストオブベストです。
日経新聞 掲載
マニアの世界なので自画自賛ではありますが、ひょんなことから昨年2024年10月8日の日経新聞に私の卒論が掲載されました。どうやら、住職にお渡ししていた私の卒論を日経新聞の記者が本棚から見つけ出し、再評価してくれたようです。いや、嬉しいかぎり。
大学時代の卒論がなんのご縁かインドで日経新聞の記者に掘り起こされ、記事になりました。
プロのライターに自分の名前を出した上で「力作」と言われると、素人ながらに嬉しいです。おい14年前のオレ!
なんか褒められとるぞ 笑笑
(素人ノリです) https://t.co/YJ8Qh9YM1I— なぎささん 太陽光と不動産で夫婦3馬力を狙う (@nagisasan1234) October 8, 2024
インド大使が参拝
勝手な想像ですが、上記の日経新聞を見てか???大使閣下が墓地参拝に訪れています。
総領事以上では初めてのことでは???
Visitied the 🇯🇵 cemetery and memorial tower in Mumbai.
Offered prayers to our forebears who laid the foundations for 🇮🇳🤝🇯🇵friendship over 100 years ago. pic.twitter.com/gOLBO5C7o7— ONO Keiichi, Ambassador of Japan (@JapanAmbIndia) October 30, 2024
そうなってくると、次回は日印両国首脳かも?
日本とインドは2007年以来、超党派の友好国で毎年首相が相互訪問するという習慣をずっと守ってきました。ある意味日米同盟にも勝る友好国です。日本でもインドでも政権交代がありましたが、その伝統は途切れていません。
首相がインドに行くと良くあるのがマハトマガンディー関連や日本人学校、日経企業の訪問でしたが、墓地参拝も立派な候補です。墓地なら、両国首脳が一緒に訪れることができますし、モディ首相はお祈り好き。
モディ首相の目に留まれば、フォロワー2億人!、国民14億人が重きを置くことになる日印友好の重要遺跡です。
なぜ明治初期、日本は貧しく、インドが豊かだったのか
さて、なぜ国交樹立以前からムンバイには日本人のお墓があるのか?
一言でいうと、日本が貧しく、インドが豊かであったからです。これがズバリ移住の原因。
持論 日米為替レートが南北戦争を生み出した
大胆な持論ですが、上記の日米為替レートが北軍の財源です。出典は日銀HP。
南北戦争は1861~5年までの間、アメリカで起きた戦争です。南軍には大英帝国との綿花貿易で豊かな経営資源がありました。アフリカ由来の強い奴隷、広大な綿花畑、世界一裕福な大英帝国という顧客。一方、北軍側には産業はなく、ゴールドラッシュを夢見て西部開拓を進めてきたカウボーイの末裔です。事業も資産も財源もありません。なのに、リッチな南軍相手に5年間も戦争をし、最終的には勝ってしまいます。
なぜか。
その理由が南北戦争の直前まで続いた上記の日米為替レートです。
これは日米和親条約で開国した際に初代駐日米国総領事ハリス氏に押し切られて決まった為替レートです。
「お金とは何か!!!」
今でも海外と関わると誰もが直面する普遍的な問いですが、当時の日本人にとってはもっと切実な問題でした。
日本に洋銀4枚を持込むと金貨3枚に両替でき、それを香港に持込むと元の銀貨12枚になるという構図です。
この為替レートと合わせて、香港・横浜・サンフランシスコの定期航路が開かれ、北軍は夢にまでみたゴールドラッシュを日本に見出します。日本は膨大な金を放出し、後に金本位制になっていく中で、失ったものの大きさを実感します。しかし、この時日本はまだコメ経済と金融後進国・・・
南北戦争が起きると、地球の裏側でインドが潤う
当時の世界を見ると産業革命を如何に早く自国で実現するかが大切でした。殖産興業、富国強兵。
産業革命とは繊維産業です。
人類は旧約聖書の創世記で”楽園を追われたアダムとイブがいちじくの葉で体を隠して”以来、服とは自分達で”作るもの”でした。それを”買うもの”に変えたのが産業革命です。
今では服を糸から作る人など、地球上探してもないに等しいです。
この大転換を成し遂げたのが産業革命であり、英国はその重要資源である綿花供給をアメリカに頼っていました。
しかし、南北戦争の5年間は貿易が途絶え、英国は綿花の買付先をインド ムンバイにシフトします。下記は大英帝国の綿花輸入推移です。因みに、この時期に創業したのがインド3大財閥の内の2つ、タタ財閥とビルラ財閥です。
ムンバイが如何に豊かになったか その4大政策
米国戦争(1861~65年)が終わるとアメリカは従来の綿花貿易を徐々に回復させていきますが、その裏でムンバイを中心とした英国からの対印投資はどんどん進みます。

ムンバイを起点にして西にはスエズ運河を介した大海運網、東には大鉄道網、海底には電信網、世界には国際金融の仕組み。この4大事業がこの街を中心にして完成していきます。
視覚理解で分かりやすいのは鉄道です。1870年(明治3年)の時点で、インドでは4大都市ムンバイ、チェンナイ、カルカッタ、デリーが既に鉄道で通じていました。大英帝国の陸地面積は日本の14倍です。シベリア鉄道もアメリカ横断鉄道も凌ぐ世界最大規模です。さて、目を見張るのはそこから23年たった1893年。上記二つの地図を見比べて、如何に早く、長く、大規模に鉄道が整備されたのかが分かります。
鉄道は技術、資源、財力、政治力、社会の成熟、その全てを組み合わせた国家の総合格闘技です。
その中心ともいえるムンバイのビクトリアターミナルは世界遺産であるだけでなく、本国英国のどの駅よりも豪華絢爛で大規模です。
如何に英国が力を入れ、如何にムンバイが豊かであったかが分かると思います。
そして、バタフライエフェクトではあるものの、その出発地点は日米為替レートによる日本側の金の大量放出にあります。
南北戦争の最中、ムンバイ発の国際金融が日本に押し寄せた
開国直後の日本にはインド発の国際金融がいっぱい支店を開設しています。
そして自由に、通貨を発行しています。
下記は幕末の開国以来日本に支店を構えた外資金融の一覧です。如何にムンバイ金融が多く、且つ早くから日本に目をつけていたかが分かります。(出典:『在日外国銀行史』 立脇和夫 1987年 24から25項)

造幣局は首都より大切な国家の中枢
ここで素晴らしい問いを立てます。
日本には、明治政府より先に設立が急がれ、未だに地方から日本を支配している、実在組織があります。
何でしょう!
- 政府以前の政府組織。
- 東京ではなく、地方からの国家支配。
- 明治以来、ガンととして首都移転しない国家の中枢。
それが財務省造幣局です。そして、それを作ったのはインドのオリエンタル銀行なんです。!!!
『造幣局150年のあゆみ』P28 という造幣局HPにある歴史説明を見ると、次のように書かれています。
国家の中枢 造幣局はインドの民間銀行が創った!!!
先ほどの外資金融の一覧で最大規模を誇ったのがオリエンタル銀行(ムンバイ発祥)です。
造幣局HPの歴史には”英国東洋銀行”と書いていますが、東洋銀行発祥の地はムンバイであり、その拡大戦略で本店をロンドンに移した後も、ムンバイでは取締役会の月例会が行わていました。
英領インドの時代で本店登記はロンドンなので、ムンバイ=英国、東洋銀行=英系銀行ともいえますが、発祥の地はムンバイで、インドの銀行です。物は見方。
なぜ明治初期、日本は貧しく、インドが豊かだったのか
まとめると次のようになります。自論ではありすが、全て史実と1次資料の裏付け済です。
- 日米為替レートの設定(負け)で、大量の金が日本からアメリカにわたる(日銀HP)
- 従来財源を持たなかった北軍が戦争資金を手にする
- 南北戦争が始まり、5年間、綿花の英米貿易が止まる(英国の綿花輸入統計)
- 英国はインドから綿花を買付けて産業革命を維持する(英国の綿花輸入統計)
- ムンバイが綿花貿易で豊になる
- ムンバイを中心に英国からの対印投資が加速する
- ムンバイの金融機関が横浜に支店を構える
- 金融後進国の日本政府に代わり、オリエンタル銀行が造幣局を作り始める(造幣局HP)
- 明治維新を迎える
そりゃ、日本は貧しく、インドは豊かになるわな。
なぜ日清戦争の裏で、日本はインドを重宝したのか
日本人墓地の概要
なぜ国交樹立以前からインドには日本人のお墓があるのか
日本人墓地の意義とは何か
長文になりすぎるので、上記4項目は次の記事にします。