ありさよ中止! 大阪大学箕面キャンパスにぶらり
このような気持ちの方はいませんか?
- ありさよ中止で、しょんぼり…
- 大阪大学箕面キャンパス最後のイベントはもうないの?
- 母校がなくなるかと思うと、コロナつらい
こういったコロキャン しょんぼりマインドの方に向けて書きます。
本記事の内容
- 昨日(11/21)箕面キャンパスに行きました
- ありさよ中止
- 何かできることはないの?
この記事を書いている僕は、外大入学、阪大卒の卒業生です。妻とは同じ学部で出会い、今日(11/22)で結婚5周年を迎える仲です。大学で学んだヒンディー語は新卒1年目からバリバリ使いました。今の住居は新箕面キャンパス付近です。一応、咲耶会(大阪外大・阪大外国語学部の同窓会)の幹事もしています。
そんな外大・阪大と縁が深い私の記事になります。
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1昨日(11/21)箕面キャンパスに行きました
大阪外国語大学記念会館
今思えば、「大阪外国語大学」という名前が残る最後の場所かもしれません。
この建物は、大阪外大+阪大外国語学部の同窓会である咲耶会が、(当時の)大阪外大に寄付したものです。所有権は大阪外大(=阪大)のため、学生も自由に使えます。中にはキッチンスペース(1F)、和室(2F)、広間(2F)があり、懇親会などに使えます。中庭には「烈士の碑」があり、大阪外大の記念碑的なものが立っています。
今にして思えば、この建物の礎石には「上八より箕面へ」と書かれており、今の私たちと同じ心境の人が残した未来への贈り物だったのだと思います。「昭和58年11月11日」創立記念日に合わせた行事だったのでしょう。当時と同じ心境で同じことをしようにも、ありさよがコロキャンというのはつらいです。
この建物は1月31日までしか使えないようです。取り壊し?かは知りませんが、見ていてつらいです。
同じ心境の人がちらほらこの辺りに来ては、一周回って去っていきました。
私も例のごとく、一周回ってみました。
知ってはいましたが、烈士の碑は撤去されていました。
在学時代は無縁だったこの建物と石碑に、今にして感情が宿ります。
烈士の碑は新キャンパスに移転予定です。
B棟前の中庭
続いて、B棟前の中庭に来ました。近くの住民が犬のお散歩コースにしていました。学生はいません。教員もいません。ちらほらと、私と同じ卒業生らしき人が、写真片手に歩いていました。
この思い出深い時計台は12/6に移転するようです。
感慨深いです。今しかないと、家族で記念撮影をしました。
ふと気づいたのですが、時計台の根元には「箕面移転20周年記念」「平成11年11月11日」と刻まれていました。記念会館と同じですが、両方ともキャンパス移転をきっかけに作られており、創立記念の11月11日にお披露目したようです。その思い出深い箕面キャンパスを去ろうとする今、創立記念日はスルー、せっかくの記念事業 ありさよもコロキャンと思うと、つらいです。
墓石階段は冬の足音を感じさせてくれました。落ち葉がちょろちょろ渦を巻いています。
空は最高の天気で、外出日和でした。
2ありさよ中止
キャンパス移転企画「ありがとう&さようなら箕面間谷キャンパス」。略して「ありさよ」です。
毎年恒例の語劇祭と合わせて、以下のイベントが予定されていました。語劇祭も合わせて中止となり、代わりのイベントはありません。
- 各専攻後による教室企画
- JAZZ研究部の演奏会
- ダンスサークルROOTSのパフォーマンス
- 夏祭り実行委員会の教室企画
- 邦楽部の演奏会
- 軽音楽部OB・OGの演奏会
- 元外大学長のあいさつ
- 咲耶会会長のあいさつ
- 管弦楽団の演奏会
- 竹村外国語学部長のあいさつ
- 大阪大学応援団の応援
多くの人の熱意、期待、練習、努力を感じる内容です。
3何かできることはないの?
上八世代が記念会館を贈ってくれたように、寄付をすることで箕面新キャンパスの中に外大ホールを作ることができます。これは「大阪外国語大学」という名前が世に出る最後のチャンスです。来年は阪大90周年、阪大100周年記念の年です。
策耶会幹事として、ありさよで寄付金集めの活動をする予定でしたが、それができない代わりに、ブログの中で寄付金集めのオンライン活動をさせて頂きます。
ドケチな性格なので、感情論だけではなく、実益も紹介するので、次のブログもご期待ください。