転職します!#9 人生を評価してくれたヤンマー 感動の連続に涙するも内定辞退した理由

仕事

この記事は私の転職活動の中でも、本丸と言える瞬間でした。

心の整理に約1ヶ月。少し頭が冷えてきたので、未来の自分に残すためにも文字起こしをします。

本日の記事

  1. 人生を評価してくれたヤンマー
  2. 掟破りの筆記試験
  3. 遅れながらの会社紹介
  4. 暖かさに溶かされていく最終面接前のドア
  5. 感動の連続に涙
  6. 結局内定辞退をした理由

私には大切な出来事過ぎて、目次を書いただけでうるっとしてしまします。長文になることを最初にお詫びします。

この記事からわかること

就職氷河期世代の30〜35歳の人には、今は新卒当時とまるで違う採用環境があることがわかります。

また、なんと言ってもヤンマーは素晴らしい会社ということがわかります。

この記事の想定読者

  1. ヤンマーの調達部長と未来の私
  2. ヤンマーへの入社を目指すすべての人
  3. ヤンマーファンの方々

この記事を書いているなぎささんは

人生2回目の転職活動でヤンマーの調達部に内定をもらいました。

そして、一生ファンであることを胸に刻み、他社に転職することになりました(内定辞退)。

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人生を評価してくれたヤンマー

何度も繰り返すフレーズですが、ヤンマーは最高の会社です。一生ファンです。

まず普通の会社ならどうなるか

採用面接は基本的に以下の順序で話が進みます。

  1. 自己紹介
  2. 志望動機
  3. 職務経歴説明
  4. 自己PR
  5. 質疑応答

仕事は段取り。ちゃんと話すためには「自己分析」と「台本」が必要です。

私の場合、2回目の転職活動となりますが、少なくとも面接の1時間前には台本作成と独演をするようにしていました。

たぶん、これは当たり前のことです。というか、私は計画より「まずやってみる派」なので、おそらく事前準備1時間は少ない方です。

さて、

ヤンマーの面接はどうだったか

なんと、面接時間60分のほとんどが自己紹介の「リピート」でした。

実際どんな感じか

Y 君の名前は面白いですね。ぜひ名前の由来を教えてください。

N (本名非公開なので書けませんが)名前に「棒線」が入っています。

(内心 この質問パターンは経験上 合格するヤツ。だが、最初からこのペースは異常。台本ではまだ自己紹介しかしていない・・・)

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Y 特技に古式泳法ってありますが、これは何ですか?

N (え、まだ自己紹介が続くの?スゴい食いつきようだったので、あえて長々と説明)

私は大分県の無形文化財継承者で、古典泳法山内流の師範です。実際、海に行くと、生徒がいます。「家元制度」の他の流派と違い山内流は「市営」なので、教育長監督の下、市長からバイト収入を得ています。余談ですが、地元に残っている弟は東京五輪の聖火リレーにも出ました。もし私も地元に残っていればそうだったかもしれません。

関連記事:家族自慢 弟が聖火リレーに出ました 古式泳法は聖火より存在感があります!

Y では君はかなりの海好きなのですね。

N (え?え?、まだ事項紹介が続くの???)

その通りです。世間に海好きの人は多いと思いますが、名前に「海」の漢字を背負い、古式泳法の師範免許を持つ人は世界にも僕くらいでしょう。

Y ってことは実際よく海に行くんだよね。古式泳法はよく教えているんですか?

N (だんだん吹っ切れてきて、自己紹介メインに頭が切り替わり)

山内流は海での実演を重視しており、地元の海で夏季限定の教室しかしていません。

本当は毎年海で教鞭を取りたいのですが、ここ3年コロナで帰れておらず非常に残念です。そうでなくても海外にいたり、大阪に長く、帰れていない期間が長いですが、機会の限り地元の海で教えるようにはしています。

(海と古式泳法に関する雑談続く)

N (ここでハッとする。今こそ、台本をぶち壊して自己PRの瞬間)

実は志望動機も海と関係しており、

海好きの個性とエンジン部品(エクセディ時代のクラッチ)での職務経歴を活かし、貴社で船舶エンジンの部品調達をしたいと思い応募しました。

Y 超盛り上がる!!!

実は自慢話だが、うちの会社では船舶免許を取ると、給与が上がるんだよ。

N 超盛り上がる!!!

Y さらに自慢だが、海外にも行きやすい会社だし、部署だよ。実際、デンマーク、スウェーデン、フランス、ドイツ、オランダ、インド、などなど。実は僕もドイツ帰り。社内はそんな人が多いし、君なら活躍できる。

N 超盛り上がる!!!

一次面接を受けた後の私の心境

何が言いたいかというと、1時間かけて用意した台本を全無視して、お互いの「自慢話」の応酬で大盛り上がりした1時間でした。

面接の王道である、自己PRや職務経歴説明はほとんどなく、

「海が好き」という個性で受かりました

人生経験でこんなにも個性を見てもらったことはありません。

思えば現職では「腐るくらいなら副業をしよう!」とせこいことばかり考えていました。そんな全てが、一次面接の途中から抑えきれない激しい愛社精神に変わりました。

思えば、私は愛社精神に植えていた男です。

最初のキャリアは入社3ヶ月目にして、エクセディのグループ最大拠点を作るために1人インドに行きました。会社は作るもの。愛するもの。愛の根源は社長が私のインド好きを即座に活かしてくれたから。

エクセディでインド好きをインド駐在にできたように、

ヤンマーでは海好きを仕事にできるのでは・・・

私にとって仕事で個性を活かすとは、人生をかけることです。

借金1億円したときよりも熱量が込み上げてきたと言っても過言ではないでしょう。

掟破りの筆記試験

そんな人生観を覆す感動的な一次面接の直後、ふと、人生最悪のことを思い出しました。

人生最大の後悔とばかり、筆記試験の再受験をお願いした

ヤンマーはそもそも全然本命ではなく、

筆記試験は深夜2時に眠気との戦いの中で受けた自己最低レベルのものでした。

娘を寝かしつけ、何かの必要性に駆られておき、寝る前の最後の一仕事にしたその日の残務という位置づけでした。

最悪だ〜〜〜〜。このままでは絶対に筆記試験に落ちる。

そして、筆記試験を人生で落ちたことがない阪大卒の妻に殺される。

妻とも一次面接の後日談で盛り上がった後だったので熱量が炸裂し、筆記試験の再受験をお願いすることにしました。

まず普通の会社ならどうなるか

何をアホな・・・

どんなに一次面接がよかろうが、筆記試験でダメなら落とされます。

というか、順序が逆で、そもそも面接なしというのが普通でしょう。

それが普通の面接です。

なんと、その依頼が届く前に、再受験の依頼が来た

ところが、私の依頼も虚しく、というか、先方から再受験の依頼が来ました。

え、やりたいほうだい・・・

あの自慢話の応酬で盛り上がった熱量は本物か?

ヤンマーも公言する型破りな事例は私以外にも・・・

後々調べると、ヤンマーのHPには募集期間を過ぎた学生の採用面接を、個性故に待ち続けたというエピソードがありました。

この後の文章も含め、私は決して自分の自慢話をしたいのではありません。ヤンマー様を褒め称えたいのです。

気になる人は、このリンクを見てください。私と同じ感情・事例が渦巻いています。

ちなみに、海好きの個性を拾ってくれた話もやっぱり先方の社風

遅れながらの会社紹介

なぜヤンマーはそんな型破りな先行プロセスを実行できるのか?

ヤンマーは非上場企業の会社では日本TOP3

面接中もありましたが、「非上場」というのは会社の大きな個性です。

街中の中小企業なら「縁故採用」みたいな採用もあります。そこまでいかなくとも、非上場だからこそできることは多いでしょう。

前職財務部だったのでよくわかります。上場すると社外にうるさい人が多くなります。それらを無視できるというのは無駄な仕事をせず、個性と熱意を持って仕事ができるということです。

(歯止め・損切りができない悪さもありますが)

ヤンマーは非上場企業では世界で唯一の量産型エンジンを作る会社

他で有名な非上場企業をあがると、サントリーと一条工務店があります。世界的に見るとSPACE Xがそうでしょう。

ただ、SPACE Xの話題性はさておき、非上場で量産エンジンを作る企業は本当にヤンマーのみです。

エンジン業界(詳しくはクラッチ)にいたので想像がつきます。エンジンの技術と工場は自動車産業の心臓部で、量産型の産業では頂点です。これを創業家の信用のみでするのは世界に例がないことです。

ヤンマーはチャレンジを尊び、個性を活かしきる社風

その結果、生まれたものが今のヤンマーの社風です。

わかりやすく、同じ立ち位置にあるサントリーで例えると、同社のレジェンド商品は8千万円のウイスキーです。これを買うためには、お金以前に、作文コンテストで優勝することが必要です。

こんなこと、アサヒやキリン、コカコーラなど、通常の上場企業ではできません。尖った個性の賜物です。

同じ事例をヤンマーで言うなれば、東京駅八重洲口の真前にある東京本社です。

東京駅に立ち前方を見ると、皇居を背景に写真撮影する観光客やウェデイングドレスが目立ちます。では、その反対側には何があるのか。ヤンマーの「支社」です。これは製造業界にとってはエジプトギザのピラミッド。どう間違っても、こんな場所に製造業は自社ビルを持つことはありません。通常は財閥系か外資金融。百歩譲っても上場企業の本社でしょう。

なのに、ここにあるのは「ヤンマーの支社」。他があるとすれば、皇居横にある出光美術館くらい。

詳しくは知りませんが、必ず「個性と熱意の買収秘話」があるのでしょう。

暖かさに溶かされていく最終面接前のドア

さて、話を私事に戻し、最終面接を語ります。

待っていると私の(下の)名前を親を込めて呼ぶ声

私はもう熱量が爆発していたので、1人本社ビル1Fのユニクロの更衣室でずっと鏡に向かって「独演」していました。その頭で時は満ち、最終面接前のロビーで、まるで舞台袖手に立つ役者の如く待っていました。

すると、どこからともなく大学時代の友人か???というような声が聞こえて来たのです。

「棒線」が入った名前なんて、知らないと読めません。呼べません。

一体誰?

と周囲を探すと、一次面接でお世話になった部長でした。

「君が緊張していると思い、声をかけに来たよ」

なんと、、、涙。

後で周辺情報を足し合わせると、リモート出社が多い昨今、おそらく私に会うためにわざわざ出社してくれたのでしょう。

因みに、これがのヤンマーの社風です。

緊張しなければ受かると肩を叩く部長

よほどこだわりを持たない限り、一度二度の出会いでは口にして読めない/呼べない私の下の名前。

それをすごく自然体に発する部長を前に、1時間の独演で凝り固まった私は、溶けていき、自然体になりました。

半ば肩を組みながら開く最終面接のドア

そこを出るときには、入室前の祈りが心地よい達成感に変わっていました。

感動の連続に涙

内定が出ました。しかも募集要件のMAX給与で。年収約700万円。転職しても前職給与(420万円)に支配されるというリクルートからの助言と呪いを跳ね除けた大躍進に狂気しました。

内定が募集条件の尼崎工場ではなく本社となった理由

あれ、でも、募集要項は尼崎工場の船舶エンジンだったはずが、気付けば本社になっている。

本社=梅田茶屋町。の超お洒落なビル。インスタでもそうそう見ない個性的な内装です。

文句なしだが、その理由は?

部長が私と働きたいから。

自分の夢の果て

そして、私の夢を一緒に実現したいから。

実は、インド勤務歴を誇らしく随所で書く私ですが、心の奥底にはお荷物社員になっていたコンプレックスもありました。

これを乗り越えたい。

そして、新卒以来重視して来た「グローバルに活躍する日本のメーカー」で海外子会社の社長をしたい。

100年に一度の就職氷河期と言われた当時の苦労が身に染み付いた私にとっては、労働は尊く、雇用は神。いつか自分も雇用を生み出せる側に立ちたい。そのもっとも肌感のある手法が海外での工場建設。

それを、キャリアを積んだ今の頭でもう一度チャレンジしたい。

これが私のサラリーマン人生30年の集大成であり、そこに向かって、5年以内の海外駐在、10年以内の管理職というのがキャリアプランです。

それを叶えてくれようとする部長

こんな思いをしっかり語れたのもヤンマーだけですし、それを受け止めてくれたものヤンマーだけでした。

そのためには尼崎工場はもったいなく、今まさに帰任したばかりの元中国法人の社長の元で働かせたいと思った、というのが部長のコメントでした。

アメリカならこれから支社を作るから今すぐにでも。個性を活かすならムンバイも。期を待つにしても、本社。

そんな募集要項を無視し、現場の人員要請を説得した上での内定でした。

交流はあるから辞退したとて、縁は切れない(交流しよう!)

それでも、実はどっちの会社にいくかで悩んでいました。この悩みの心境は次の記事にします。

そんな中、内定後の再面談を申し出たところ、

「悩んでいる某大手電気メーカーのその部署は部署間交流がある」

「共同で毎年勉強会をしている」

「もし、悩んだ結果そっちに行っても、縁は切れないので、交流をしよう!」

と言われました。

なんか、器の大きさにどうしていいものか。。。

なんなら雇い直す!!

1人の募集枠に対して、200人応募があり、63名面接し、3名が最終面接にたどり着いた。

結果、君がダントツでよかった。

筆記試験を再受験させてでも、現場の人員要請を説得してでも一緒に働きたい。

僕がそう思った。

もう、就職氷河期育ちの自分にはこれ以上ないラブコールでした。

今、文章を書いていても涙が出ます。

私は一生ヤンマーのファンです。

涙で何度が寝付けない夜

悩みは続き、妻と一日違いで、夜うなされて起きました。

辞めていたお酒も手を出しました。

日中の仕事も手がつかなくなりました。

食欲も減り、お腹も痛いのでは???という気持ちがしました。

結局内定辞退をした理由

100万円の給与差は誤差ではない

即断できなかった理由はお金です。

年収420万円だったこともあり、何かあると妻には節約を促す結婚生活でした。子供も2人になり、お金に対する不安は大きかったです。

自宅含め、副業投資で1億円の借金!

一見アホですが、お金に対する考え方には厳しさと冷静さと勇気と貧しさ。100万円の給与差は貧乏が染み付いて無視できるものではありませんでした。

おそらく今後も開く給与格差

それでも、何かを条件に巻き返せるのなら。。。ともいかないのが何度も踏み込んだ質問をした結果でした。

昇格して課長になれば追いつくが。先方で課長になればもっともらえるし、それを期待されている。

海外駐在すれば給料は増えるが、先方は業界トップとして駐在先では間違いなく序列の頂点。

内燃機関の限界か・・・

エクディも芦森工業もそうであったように、これが自動車業界で鉄をメインとする業種の限界かとも思いました。

内定辞退の理由はチャンスを呼込む業界ポジション

ただ、私の性格は常に前向きです。こんな「比較をする」決め方で人生を決めたくないというのが正直なところです。

その結果、次の記事で書きますが、某大手電気メーカーにはその会社特有の理由で、個性で、転職を決めました。

辞退の理由は何かが悪かったからではありません。

単に、他を選んだから、結果的に辞退となったのです。

そして、私は某大手電気メーカーで、新たな未来に向かって挑戦していきます。